商業史レポートA「越後屋・三井八郎兵衛高利」


10.経営組織の体系化


【全事業の統括】

 高利の死後、三井家の事業は嫡男の三井高平が継いだ。高平は高利の遺言に基づき、宝永七(1710)年、京都に「三井大元方」を設置し、そこで三井家の全事業を統括した。三井大元方は最高統制機関として、京都、江戸、大阪の越後屋呉服店および両替店を統括し、「一家一本、身上一致」の精神で、三井家の資産を一括管理した。また、一族の者が起業する際には、その資金の貸し出しも行っていた。


【宗竺遺書】

 高平は、生前に「宗竺遺書」を記した。その中で、「一族の和を心がけよ」「利益は一族に配分せよ」「一族の長を選出せよ」「一族の子弟には小僧の仕事を体験させよ」「重要事項は一族で協議せよ」「不心得の一族は協議し処分せよ」「本店は全店の会計を掌握せよ」「賢明、有能な者の昇進と新進の人物を採用せよ」「不利と分かった時は素早く見切ること」などと、経営方針について細かく言及している。
 嫡男のみが財産を相続していた当時、利益を一族で分配するとしていた点が、この遺書の特徴と言える。また、高利が兄弟姉妹の和を望んでいたことから、高平を総領家とする六本家、三連家が設けられ、後にさらに二連家が加わえられ、これが現在の「三井十一家」となっている。


【町人考見録】

 三代目当主の三井高房が、一族のためにまとめた戒律書が、「町人考見録」である。実在した良い商人や悪い商人の例を挙げ、商売上の教訓を明文化している。さらに、源頼朝、頼家・実朝親子の例、足利将軍家の例などをあげ、歴史に学ぶことの重要性を説いている。全体を通して町人らしい現実主義で書かれており、大名貸しや不用意な金融の拡大、遊興、遊芸、信仰への耽溺・没入などを禁じ、町人の分を守ることが、繁栄の条件だとしている。町人考見録は、そうした近世町人や商人のあり方を知る上で、重要な書物であると言える。


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