商業史レポートA「越後屋・三井八郎兵衛高利」


3.江戸の商業と伊勢商人


【江戸と商業】

 江戸城の作事や普請により、各藩から千石夫として多くの人夫が江戸に集められた。また、武家諸法度により、大名の妻子や陪臣が江戸常住となったことが、江戸の人口急増にさらなる拍車をかけた。
 こうした武家の落とす金銀が、江戸の商業発展を担った。そして、商品経済が浸透することにより、経済の実権が大名や武士から町人に移り、江戸における商人たちの役割は飛躍的に大きくなっていった。


【伊勢商人の活躍】

 当時、江戸の町でよく言われた言葉に、「江戸に多きもの、伊勢屋、稲荷に犬の糞」や「伊勢乞食に近江泥棒」などというものがあった。これらは、江戸で商売を繁盛させていた伊勢商人や近江商人のことを、他の商人達がねたみ半分に言ったものである。それほど、江戸の町には「伊勢屋」や「越後屋」「丹波屋」など、多くの伊勢商人の店が軒を連ねていた。
 それらの店は「江戸店」「枝店」と言われ、「江戸店」持ちは、伊勢商人の特色でもあった。戦国武将・蒲生氏郷の商業保護政策や、広い木綿生産地があったこと、伊勢参宮に各地から人々が集まり、情報も入り易かったことなどから、三井高利、丹波屋(長谷川)次郎兵衛、小津屋清左衛門など、多くの商人が伊勢から輩出された。国学者・本居宣長も、伊勢商人の家の出身である。井原西鶴が『日本永代蔵』の中で伊勢商人について、「人の気を見て商の上手は此国の人也」と言っているように、伊勢商人の商売上手は当時の人々を驚かせるものであった。


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