商業史レポートA「越後屋・三井八郎兵衛高利」


9.三井家の家訓


【家訓とは】

 江戸時代の多くの商家には、「家法」「家憲」「家訓」などの決まり事があった。「家法」とは、現代でいうところの社訓や社是にあたり、その店の経営方針や経営の理念を文章化したものである。「家訓」や「家憲」と呼ばれることもあり、遺書(遺訓)として書き残されることもあった。また、文章化されず、口伝で代々受け継がれたものもあった。それらの多くは、経営理念などを後世に伝えるためのものであったが、当主の選び方や意思決定の方法などに細かく言及しているものもあり、後の経営者を拘束する大きな効果があった。


【三井家の家憲(初代高利)】

一、単木は折れ易く、林木は折れ難し。汝等相協戮しゅう睦して家運の強固を図れ。

ニ、各家の営業より生ずる総収入は必ず一定の積立金を引去りたる後、はじめてこれを各家に分配すべし。

三、各家の内より一人の年長者を挙げ、老八分と祢して是を全体の総理たらしめ、各家主は皆老八分の命を聴くべきものとす。

四、同族は決して相争う事勿れ。

五、堅く奢侈を禁じ、厳しく節倹を行うべし。

六、名将の下に弱卒なし。賢者能者を登用するのに最も意を用いよ。下に不平怨嗟の声なからしむる様注意すべし。

七、主は凡て一家の事、上下大小の区別なく、之に通暁する事に心懸くべし。

八、同族の小児は一定の年限内に於ては、他の店員と同一の生活待遇をなし、番頭、手代の下に労役せしめて、決して主人たるの待遇をなさしめざるべし。

九、商売は見切時の大切なるを覚悟すべし。

十、長崎に出でて外国と商売取引すべし。


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