商業史レポートA
| 【レポート一覧へ戻る】 | 5.越後屋前史A | 10.経営組織の体系化 |
| 1.目次 | 6.越後屋の躍進 | 11.まとめ |
| 2.はじめに | 7.越後屋の流通革命@ | 12.参考文献 |
| 3.江戸の商業と伊勢商人 | 8.越後屋の流通革命A | |
| 4.越後屋前史@ | 9.三井家の家訓 |
| 商業史レポートA「越後屋・三井八郎兵衛高利」 |
7.越後屋の流通革命@ 【店前現銀無掛値】 越後屋の最も特徴的な販売手法が、「店先売り」である。当時の呉服店は、前もって得意先の注文を聞き、後から品物を持参する見世物商いと、直接商品を得意先に持参して売る、屋敷売りを専らとしていた。裕福な商家や、大名や武士といった特権階級が得意先であったため、商品を先渡しして、代金は盆暮の節季払いで受取っていたのである。 とは言え、得意先が死亡したり、お家断絶によって集金不能となることもあった。そのため、そうした危険率を掛けて、売値を高く設定するのが一般的であった。それを、越後屋では店先で販売する現金売りに改め、資金の回転を早くしたのである。 店頭販売を行うことで、「呉服物何によらず現銀掛値無しに仕り侯」とした越後屋の商いのやり方は、町人などの新しい顧客層を開拓し、大いに繁盛した。掛売りをせず、掛け値なしで正札販売する(商品を安く提供する)ことで、越後屋は、江戸の町人たちから爆発的人気を得ることとなった。 しかし、越後屋が従来の商習慣を破り、またそれがあまりに繁盛していたことから、同業者の妬みを買うことにもなった。台所の近くに厠を作られたり、夜中に石火矢をしかけられたり、使用人が外でいじめにあうなど、悪辣な嫌がらせや妨害が相次いだ。越後屋は、天和三(1683)年、火事で二店が焼失したのを機に、隣町の駿河町に移転することとなった。 【反物切り売り】 当時、反物は一反単位で販売されていた。しかし、越後屋では、必要な長さだけを売る「寸尺売り」も行った。客の要望に応じて切り売りすることにより、新しい顧客層を開拓したのである。この商法は、特に、いなせな職人達に喜ばれた。 【専門職による販売体制】 越後屋では、反物を、金襴類、羽二重類、紗綾類、紅類、麻袴類、毛織類等などと分類し、店員の担当を生地ごとに明確に分け、顧客の如何なる質問にも応じられる販売体制を敷いていた。この手法は、「一人一色の役目」と言われていた。
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