商業史レポート@ 「商業の発展と豪商の繁栄」


9.商業の発達


【交通の発達】

 幕府の政策として、街道・宿駅などの交通制度が整備された。さらに、大名の参勤交代、寺社参詣・名所見物・湯治などの庶民の旅の増加、全国的な商品流通の発展により、水陸の交通が発達した。「人は陸を」「物は水を」が近世の交通哲学であった。
 陸上交通は、東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道の五街道が中心であり、それらの脇街道も整備された。幹線道路では一里ごとに一里塚、二〜三里ごとに宿駅が整備され、宿駅には問屋場(人馬の継ぎ立て・飛脚業務)や本陣、脇本陣、旅籠、木賃宿などが設置された。その他、助郷役の制度や、関所・渡しによる治安維持のための交通制限も行われ、また、継飛脚(幕府公用)や大名飛脚、町飛脚といった飛脚網も発達した。
 水上交通は、大船建造禁止や鎖国により沿岸航路に限定された。しかし、沿岸航路は商品輸送のル−トとして発達し、南海路(大阪〜江戸)では菱垣廻船や樽廻船、西廻り航路(出羽〜大阪)では北前船が活躍、東廻り航路(陸奥〜江戸)では天領の年貢米が輸送された。


【都市の発達】

 人と物の流れが活発になり、各地で城下町・港町・門前町・宿場町が発達した。中でも三都と呼ばれる、上方の京都と大坂、そして江戸の町は、大きく発展した。18世紀初め、京都、大坂はともに人口は40万人近くに達し、江戸はようやく上方に対抗する発展を見せ、人口は100万人前後となった。三都はそれぞれに賑わい、華やかな文化も生まれ、都市生活を豊かなものにしていった。

◇京都 … 多くの神社・仏閣の集まる伝統と文化の町。千年の古都として栄えた。
◇大坂 … 「天下の台所」と称された商人の町。蔵屋敷が建ち並んでいた。
◇江戸 … 武士の町。「将軍のお膝元」として日本の政治の中心地となった。


【商業の発達】

 商業活動が盛んになった背景として、諸産業の発達による商品生産の活発化、交通・都市の発達による商品流通網の形成、武家が年貢米や国産品を換金して都市での消費生活を行ったことなどがあげられる。貨幣経済の発達により、商業はより大きく発展していった。


【貨幣経済による商業の発達】

 日本の貨幣経済は長く中国の銅銭に依存していたが、幕府は金座、銀座、銭座を設け、統一貨幣として金、銀、銭の三貨を鋳造した。しかし、銀貨は秤量貨幣であり、また、上方は銀遣い、江戸は金遣いという違いがあった。加えて、三貨の交換比率は変動相場であったため、三貨間の両替や秤量を業務とする両替商の役割が大きくなり、両替業で大きな富を築く豪商(三井・住友・鴻池など)が現れることとなった。


【繁栄する豪商たち】

 経済の実権が大名や武士から町人に移っていく時代の流れを、豪商たちは上手く掴み、成功を収めた。このような時代の変化は、かつては自給自足であった経済から、商品経済が社会全体に浸透していったことによるものである。政商だけでなく、庶民層の需要に応えて活躍、成功を収める豪商も現れた。


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