商業史レポート@ 「商業の発展と豪商の繁栄」


10.江戸時代の豪商たち@


【三井高利】

 三井家の創始者。伊勢国出身。先祖は三井越後守という武将であり、松坂で酒屋を営んでいた。1673年京都に呉服仕入店「越後屋」を開き、翌年、江戸日本橋で「越後屋呉服店」を開業。当時の大きな商店は盆暮勘定であったが、越後屋は「現銀掛値なし」などの新商法で成功を収めた。駿河町に店を移転すると、その大きな店舗は町の大部分を占めたため、越後屋は駿河町とも呼ばれた。両替商にも進出。91年には幕府御用達の両替商となった。一代にして三井財閥の基礎を築いた人物である。


【河村瑞賢】

 伊勢の生まれ。十三歳で江戸に出て、当初は車力、普請人夫などをしていた。その後、木材商として独立し、明暦の火災の際には大いに儲け、豪商の仲間入りを果たした。幕命により、航路開発、治水工事などにも従事した。


【紀伊国屋文左衛門】

 江戸中期の豪商。紀伊国生まれ。蜜柑や材木の買い占めで財を築いた。紀州蜜柑を江戸に運ぶ商売で莫大な利益を得、後に材木商として江戸に進出。老中柳沢吉保に取り入り、幕府の御用達商人となる。中でも上野寛永寺の用材調達で投機的に巨富を得た。吉原で奈良屋茂左衛門と大尽遊びを競った話など、豪遊伝説が残る。柳沢吉保失脚後に廃業、落魄した生活を送ったという。一代で築いた巨万の富を、一代で使い果たした「紀文大尽」であった。


【奈良屋茂左衛門】

 深川の材木商。通称奈良茂。一代で財を成したのは、四代目奈良茂勝豊である。日光東照宮の修復用材調達を請負い、十三万両と言われる巨額の富を得たが、五代、六代の時に衰退した。紀伊国屋文左衛門との派手な遊興を争った逸話などがある。


【下村彦左衛門】

 攝津の生まれ。家業の古着屋を継ぎ、京都に行商していたが、三十歳の時に伏見に小さな店舗を構えた。大という字は人と一を組み合わせた字であるから、天下一の商人になろうと、大文字屋という商号を用いる。後に「大丸」に改称した。


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