商業史レポート@ 「商業の発展と豪商の繁栄」


5.戦国時代の豪商たち@


【呂宋助左衛門】

 織田信長や豊臣秀吉らに取り入って商いを行っていた、同じ堺商人の津田宗及や今井宗久とは一線を画し、自ら貿易船を操って海外へ進出していた。そこで手に入れた二束三文の日用品を呂宋茶壷として売り、大富豪となる。その後、豊臣秀吉の不興を買い、堺の港から出国。カンボジアのウドンで、余生を過ごしたと言われている。


【淀屋常安】

 大坂の豪商。豊臣秀吉が舌を巻いたと言われるほどの知恵者である。天下統一後の流通機構の変動に乗じ、天下の台所と言われた大阪市場をいち早く制して成功を収めた。豊臣秀吉に仕えるが、大坂の陣に際しては徳川家康に付く。その功績により大坂での米市場の創設と独占を認められ、淀屋橋に米の取引所を開設して諸大名の蔵米を一手に扱った。水運の良さと、蔵屋敷が近いこともあり、それまで個々の商人と売買をしていた諸大名は、挙って米市場へ米を持ち込むようになり、やがて米相場が立つようになった。
 米相場では両替業も必要とされ、淀屋常安は両替商としても成功を収めた。また、大坂市場の海産物管理権も手に入れ、莫大な運上金を得ることとなった。その資産は「百万石の大名を凌ぐ」と言われ、「土蔵七三〇箇所、船舶二五〇艘、諸大名貸付金一億両、公家貸付金八○○○貫目、家屋敷五四二軒、その他、田畑、刀剣、茶器、宝飾など一億二一八六万余両」の財があったとされる。「どんなものでも、手繰り寄せれば商売になる」が口癖であり、伏見城の工事、淀川堤の土手工事など、数々の逸話が残っている。中之島の開発など、淀屋常安の事業は大坂発展の基礎となった。


【茶屋四郎次郎】

 代々、茶屋四郎次郎を名乗っているが、二代目清延は徳川家康に従って多くの戦闘に参加し、その信任も厚かった。本能寺の変を家康に伝えたのも、清延である。四代目清次は朱印船貿易に従事するとともに、糸割符制度の創設など、幕府の経済顧問としても活躍した。また、大坂の陣の際に和睦交渉を行ったのも、清次である。


【鴻池新六幸元】

 尼子家再興に尽力した戦国武将、山中鹿之助の子と言われる。清酒の醸造方を開発。それをきっかけに、運送業や廻船問屋に進出し、巨富を得た。「十人両替商」「大名貸し」で知られた鴻池の基礎を作った人物である。


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