商業史レポート@ 「商業の発展と豪商の繁栄」


3.近世までの商業


【行商人の活躍】

 我が国では、遠く古代から商業活動が盛んに行われてきた。原始共同体においては単純な物々交換がなされていただけであったが、奈良時代には都に官立の市が立つようになり、そこでは物資の交換が盛んに行われていた。やがて、都だけではなく、地方にも市が立つようになる。しかし、それらは地域の中で収束するものに過ぎなかった。
 商品の流通が盛んになったのは、鎌倉時代から室町時代に入った頃である。行商人を通して、物産が流通しはじめたのだ。土地々々に常設の市が立ち、各地の特産物が売られるようになった。「座」も増え、明銭が流通するようにもなったのも、この頃である。
 十二世紀頃に活躍した「金売り吉次」は、陸奥の多賀国府から京の朝廷に砂金を輸送する御用商人であった。吉次は砂金を京都に運ぶだけでなく、船で南宋へ送っていたとも言われている。


【中世社会の商業】

 鎌倉時代、職人や商人の同業組合として、「座」が誕生する。京都では常設の小売店が次第に増え、地方では三度の市が「六斎市」へと発展していった。
 商いが発展するにつれ、貨幣の流通も盛んとなった。しかし、品質の悪い私鋳銭も大量に流通していたため、銭の良悪を選ぶ撰銭が行われ、大きな混乱を招くこととなった。
 古くから政治や文化の中心地として栄えてきた京都では、活発な商業活動が展開された。町衆と呼ばれる京都の商工業者たちは、町組を組織して町法を定めることにより、応仁の乱後の京都を復興した。
 各地の大都市でも、有力な商工業者たちによる自治組織が生まれ、堺では36人の会合衆、博多では12人の年行司による自治が行われた。しかし、これらの都市も、後に織田信長、豊臣秀吉らの圧力に屈することとなる。


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