商業史レポート@ 「商業の発展と豪商の繁栄」


4.織豊政権と豪商たち


【武家による支配】

 近世とは、織田信長が足利義昭を奉じて京都へ進出した1568年(永禄十一年)から、江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜が大政奉還を申し出た1867年(慶応三年)に至る三百年間をいう。武家による強力な中央政権が統一支配した近世は、戦国動乱を経てもたらされた。
 近世に至る動乱期に各地を支配していた戦国大名は、自国の支配を強めるため、土豪による村落支配を切り崩していった。有力国人を倒し、検地により兵農分離を進め、また、土豪や旧族を本拠地から切り離して城下町に集めることで、一国の支配確立を目指した。この手法は、織田信長や豊臣秀吉の全国統一支配にも用いられることとなる。


【織田信長の政策】

 織田信長の政策は、戦国大名の富国強兵策の延長線上にある。その政策は、豊臣秀吉や徳川家康にも受け継がれ、近世社会の骨組みとなった。

◇城下町作り … 家来を城下町に住まわせ、常備軍を確保した。
◇楽市・楽座 … 座の商人や公家・寺社の特権を廃し、自由な営業を認めた。
◇都市の支配 … 堺を押さえ、豪商の経済力を利用した。
◇鉱山の支配 … 但馬の生野銀山を直轄地とし、銀を財源とした。
◇キリスト教の保護 … 統一に抵抗する仏教勢力を弾圧し、キリスト教を保護した。
◇ヨ−ロッパ人の利用 … 新しい知識や技術を手に入れ、南蛮貿易で利益を上げた。


【豊臣秀吉の政策】

 豊臣秀吉の太閤検地は、戦国時代の在地領主制を廃し、石高制による農民支配を確立するものであった。加えて、刀狩令や身分統制令により兵農分離を進め、百姓を農地に縛り付けた。
 一方、小作農の自立や保護も進め、商工業者の保護や統制にも力を入れた。また、山野を開墾する新田開発も、徐々に盛んになっていった。これらの政策は、江戸幕府に引き継がれていくこととなる。なお、秀吉の外交政策は、領土拡張や朝貢強要など、積極的かつ威嚇的なものであった。


【初期豪商の活躍】

 戦国期の豪商は、庶民を相手の小商いはせず、多くの場合、政商に近い存在であった。織田信長・豊臣秀吉による全国統一が進み、ついで幕藩体制が確立していく過程において、政権も大名も、年貢米売却などのために船や蔵を持つ商人を必要とした。
 それに応えたのが、朱印船貿易家に代表される初期豪商である。初期豪商は領主との強い結び付きのもと、海運や商業により、巨大な富を蓄えていった。


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